硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

辿り着くところ

 

こんばんは。

今日は若干酔い任せ。

昨日も書くつもりだったのだけど、お風呂に浸かって出てきて髪を乾かして寝ころんだらそのまま寝ていた。ちょこちょこ起きつつのべ9時間くらい。

健康的だということだけど、本当にそうなのだろうか。

確かに寝るためには物理的に疲れないといけないし、寝るという行為は生命を継続するために必須な営み。不眠だと意識は動いていても物理的な脳が着いていかない。

けども、僕は睡眠をある意味今日の自分をこの世から退場させる行為だと思っている派。
少数派だろうけど、要は、未来の自分を生かすために犠牲にするということ。
違うな、今ここの意識を、継続した一点としかみなさないこと。
余計に分かりにくくなったな。

確かにそれはそうにしかならない。
もし明日この世界が閉じたらっていう意識がある人なんて普通はおかしい。明日自分の人生が閉じるなら最後に何が食べたい? みたいな想定も、どうせ終わらないけど、っていう暗黙の前提がある。隠れた前提っていうのは良く論理の話で出てきたはず。論理が繋がるためには、顕われている言葉では足りないというように。具体例は省くけれど、論理的にとか理屈では云々って表明されているものはだいたいそんなもの。
専門書だって隠れた前提だらけ。数学とか理系のものは違うかもしれないけど、そっちには知識が全然ないから分からない。


そうしてなんだったっけ。
世界の終わりか。割と近づいているような気がしないでもない。天変地異とか少子化とかそういう意味で。科学技術がそのままで人口が半分になったとしたら、もっともっとAI化が進むだろうなとか不謹慎な妄想。自分が淘汰される側かもしれないっていうのも含めて。

常にアップデートし続けるAIと、何かを理由にして天井を決めてしまう人間のどっちが勝るのかっていうのは明らか。カメとウサギか。

自分の終わりの流れで好きだったのは、昔一番近かった人が睡眠障害傾向にあったのだけど、日が昇ったら次の日のとするっていうやつ。寝て起きるみたいな自分のバイオリズムではなくて意識は継続していているけど主観的な客観で捉えるっていうところが好きだった。


ともあれ。

仕事の話。

今日は勉強会の後の食事会という名の飲み会。
宴会みたいに注ぎに行ったり取り分けたりした方が良いのかなって思っていたら、そうでもなかった。逆に気遣ってくれるという。

どういう評価をされているかは気になっていた。
4日目とはいえ自分が普通より出来ていないだろうところばかり見えるし、とりあえず電話だけは全部取るつもりで反応しまくるけど、取った後も拙いし分からないことばっかりだから迷惑をかけてやしないかって。

これに対しては、特に悪い評価はされてみないだった。
むしろ、良かったらしい。でもこれは自分が苦手だから修行のために取るっていう所がメインの目的にあって、仕事場の人に良く思われるかどうかは副次的な効果でしかない。

そうして、やっぱり大人数の飲み会って面白くはない。
だって、共通項の話しかできないもの。仕事の話じゃない話が発動するなんてことは1割未満だった。これは仲良くなったらもっと深い話がある、みたいなことがある訳でもないことは推定される。だって、ここの職場だいたいが8年とかそれ以上一緒に仕事としているんだから。割り切りというか他人を見ることはできるけど興味は薄いんだろうなって。

ただ、これは僕が居ない世界線ではある。
予定調和を壊してみるっていう手段を行使したら面白いかもしれない。
個人的に面白そうだなっていう人は1人みつけた。

僕の目標の職業の人達だけど、見たり聞いたりすると、僕の最終地点ではないなという気がした。あるとしても個人事務所だわ。とりあえず、もっと進捗率上げよう。

人との会話がほんと苦手。対話は好きなのだけど。

締めが分からない。
やべ、寝ないと。

おしまい。