硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

導入

 

設定とか細かいところは追々やっていこう。
今のところ特に他意はないしすぐ終わるはず。

さて。
はじめまして。

ここを見つけたのはたまたま。少し毛色が違うみたいだけど、前に書いていた所が若干窮屈でリセット願望が出てきていたからちょうど良かった。という訳で精神的お引越し。
場所が変わっても中身が変わらなければ意味はないけど

まだるっこしいな。
とはいえ、自己紹介は頗る苦手。そんな礼儀はないだろうけどなんとなく。
昔から駄目だった。もちろん自分が誰かに表現できる価値がないという評価はあったけれど、最近は少し見解が変わった。

プロフィールって自分の外側の情報と自己評価を語るのが普通、なはず。
そうして、外側の情報っていうのは更新するものだし自己評価も主客どちらだろうがその人そのものというより遡った評価。共通項はその人の過去の情報でしかないということ。

もちろん、誰かに自分を理解してもらおうと思うとき、過去を語ることしか方法はないし、そうやってお互いの過去を交換することで相手を理解したつもりになるのは確か。なにか棘っぽい表現だけどそれしかないっていう意味では変わらない。

けども、個人的には更新可能性がない部分で語るべきではと思わなくもない。
更新可能性がないことなんて無常の世の中だとありえないかもしれないけれど、要はどういう状況であれ変わらない自分の部位。

僕のその部位はここまで書いてきて読解できるに違いない、ややこしい考え方をするところ。思考という程な高尚なものではないけど頭の回転が止められない。しかも利にならないことばかりで。

もう1つは文字情報の収集がやめられないこと。
これも自分の利とかはない。利がありそうな学問とかも読んでるのだけど、全然使わない。
そろそろ使った方が良いだろうなとは思っている。


良かった良かった。
これで丁度よい自己紹介ができたはず。だいたい抽象的なことしか書かない場所です。
という予防線を貼るまでが前置き。

やれやれ。
やっとこさ日記。

エリアなんとかメールが来た。土砂災害に警戒しましょうって。ここは土砂なんてほとんどコーティングされていてか、メールが来てから外に出たら雨はもう止んでたいうのはともかくとして、むしろこの前の台風の時にこそメールがあるべきだったんじゃなかろうか、とか。

耐性がないっていうのは地域性なんだろうなぁ。
と、いろんな地域について思う。土地も人も耐性が付いているかどうかで全然違う。寒い地域には寒さの備えがあるけど、気候がひっくり返って暑くなったら熱中症への対策が分からないとかそんなやつ。

そういえば、ウェブで書き物をする用語法みたいなものを見て接続詞はあまり使わないようにした方が良いみたいなのがあった。確かに情報を伝えるっていういう観点では情報をピンポイントにって、この話は良いや。


羊と鋼のなんとかっていう小説の中に、努力とは努力という自己評価の枠で積んでしまうものだから自分の成長を阻害するみたいなフレーズがあったのだけど、人ってそういうものなのだろうなと。
努力という言葉は、他己評価でしかなくて自分に使うものではない。

そろそろ終えないと収集がつかなくなるな。


人は生きているだけで積み上げるを得ない生物だけど、それを努力と評するには何か社会的な形があるときだけ。つまり、自分が努力しているって主張する人はそうそう居ないとしても自己評価をする人は居るはずで、そういう人は、自分の積み上げっていうよりも自分が社会にどう評価されるかということに思考が向いている。

なんのために生きるのかっていうのは哲学に寄っているけど、結局はそういうものじゃないかと思っている、


初日記としてはこんなものだろう。


おしまい。