硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

選択肢

動いたら少しスッキリした。物理的にはトータル1時間くらい歩いたのかな。上着がなくても少し汗ばむくらいの暖かさ。日光の浄化力は凄い。月光も好きだけど、なんとなく方向が違う。日光は変化を司る。変化っていうより循環とか代謝みたいな方が適当かも。月光は維持を肯定してくれる感じ。

 

経済的には求職活動、というか失業保険の講習。いろいろと勉強になる。昔も受けたけど、人数は増えている気がする。財源は一応安定してそう。まぁ早期に再就職させた方が所得税で返ってくるし、なかなか上手く回っている制度だと思う。生活保護を批判する人はいても再就職手当を批判する人はあまりいなさそう。制度自体を知らないっていうのもあるのだろうけど。まともの範疇なのかしら。

 

 

さておき。

 

浄化と言えば、邪気が凄そうだから、塩風呂に入った。正式なものではないけど、我が家の塩は粗塩だから浄化力はきっとある。邪気ってスピリチュアル的だけど、個人的にはそこまで信じているわけではない。ただ、こういうのは現象の言い換えに過ぎないという説。塩が浄化に使われるのって、歴史を遡ると海で禊をしていたっていうのを見た。割とこじつけ臭いのだけど、塩の成分に何かの作用があって、それを日本人としての経験で知っているってことになると、意味というか象徴的に効果があってもおかしくはない。民族的意味論?

 

あと、邪気も抽象的に言うとスピリチュアルっぽいけど、関係性の波長の不具合みたいなことを考えると現実的なような。この人と接したら気力を吸われるなぁみたいな素朴な感覚とか、或る場所に居るのがなんだかしんどいっていう現象は感じている訳で。感じないっていう人は感覚を閉じてしまったと思っているけど、もともと鉄壁っていう人も居るかもしれない。

 

感じ方っていうのは共通項で括れないけど、無理やり括って効能みたいなことを突き詰めていくとスピリチュアルみたいなものになるのかなって。マインドフルネスとか。僕はこういうのは否定しないし、あわよくば取り入れるけど、全部まるごと倣おうとは思えない。

 

 

日本人に宗教がないのは、排斥の観念からすると生活に関係ないからなんでも良いっていう、寛容じゃなくて無関心と観察している。だいたいの宗教は社会的な行動ルールよりもっと狭い範囲にルールがあるから。冠婚葬祭の時に宗教に倣うのは社会的なものと重なっているからって場合が多そう。

 

そうして。日本は宗教廃れているけど占いは活発だなって考えると、占いには害がないからだろうなって。害っていうのはそれまでの自分の行動規範を変える必要がないっていうこと。昔はもっと行動規範と密接だったのだろうけど。甲骨文字占いみたいな。

 

まぁ血液型診断とか星座占いみたいなかじってるものは、精神的プラシーボ効果があるだろうろうから行動規範に影響がないとは一概には言えないのだけど。

 

でも、四柱推命とか占星術とか、巡っているものの中で人を占うっていうのは、或る意味一種の科学なのだろうなって思わなくもない。なんでかって、地球自体が周期的なのと呼応しているかどうか知らないけど、人類も周期的に巡っているから。そういう星の下っていう考え方は運命論的だけど、そういう時代性の中だけの人間性って考えると腑に落ちなくもない。

 

人間の精神性が発展しているって思うのは、親よりもよくとか前の世代に馬鹿にされた反動なのだろうけど、本当に発展しているんだったらとっくに戦争も差別もなくなっているはず。発展の方向が違うっていうのであれば、それはやっぱりその時代のみでの平穏であって、次の時代もそうなるわなというだけ。巡らないものになるっていうのはかなり大変なこと。差別的な言葉や表現はどんどん殺されているかもしれないけど、得体の知れないものとしての排斥の精神性は残る。

 

 

なんだっけ。

こういう意味で、占いはアリだと思う。宗教的な意味の救いもあるだろうし、未来への展望もある。恋人さんがくれた星占いの本によると今後なかなか良い時世らしい。ただ、高校時代に同じ誕生日で同じAB型の人が二人居て、この二人もそうかってなるとあんまり完全に倣ってはいけない。

 

誕生日が一緒でかつ血液型も同じ確率って計算したらそこまでのものではないらしいから、大したことでもないけど。

 

最後。

 

諸々書いているけど、こういう物事の主観的な意味は、どういう規範を取り入れるか。情報を増やすと任意性が増えるだけであって、現実は1つしかないないから効率的な生き方ではないけど、色んな縛りからは離れられる気がするという精神衛生上の効用。

 

おしまい。