硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

転生はしない輪廻

歯は相変わらず痛くて、歯医者に行って神経の薬を入れ替えたにも関わらずやっぱり痛いのだけど、この痛みをどう表現したら良いかも分からなくて、鎮静剤は自分でロキソニンを買った。噛んでも噛まなくても痛いって言っても、噛み合わせで痛みが出ているのだろう、そのうち引いていくという解釈だった。個人的にはまぁそう言うならそうなのだろう、ということを思いながらスガシカオ19才のBGM。ホリックは哲学的で面白いアニメ。

 

人生の中の全ての出来事には意味があるとか。

 

痛みに対する考察。

 

いずれ無くなると思うと、睡眠のリズムを滅茶苦茶乱してくる歯の痛みもある意味観察対象になりうる。ずーと同じように痛むのかというとそうでもなくて、意識していると微妙な波がある。血流のリズムと同期しているのか、神経の伝達の電気信号の関係なのか、ちょっと火傷に近いのかなとか。

 

あぁ痛い痛いって思って意識すると余計に痛い気がする。

でも、痛みほど、個人的、というか現在的なものはなかなかなかろうなと。自分の中でさえ共有できない。例えば口内炎の痛みとか、治るとすっかり通常営業になるけど、もう一回発症すると、思い出したようで本当は今の痛みしか感じていないという。

 

ところでだけど、薬学とか医学とかの痛みの捉え方はもっとシビアで物理的。

鎮痛剤は、痛みの原因を取り除くのではなくて、痛みの原因が発して脳が痛いって認識する信号を遮断するもの。あんまりロキソニン効かないけど、飲んだらちょっと患部が痺れる感覚があった。それで久々にまとまった時間眠れた。炎症が収まるまでだけ使うっていう感覚では、生理痛の時にイブを使うっていうのも近いけど、定期的なのだから根本的な改善が必要なような。まぁホルモンバランスによって思考が変わるっていう感覚は女性じゃないけどなんとなく分かる。

 

 

ホルモンと言えば、ストレスホルモンとしてコルチゾールがあるみたい。

そして、1日20分自然と接するとコルチゾールを減る作用があるという研究結果があるらしい。僕はひねくれているから、自然の定義がやたらと気になる。おそらく植物と触れることを自然って言っているのだろうけど、それだったらちゃんと植物で良いし、そうじゃなくて、自分と違うメカニズムで動いているものが自然だとするならば、子供の声とかでも良いような。ちゃんとした研究結果なのだろうけど、何か抜けている気がする。もちろん科学的な研究って状況を限定した中での作用反作用だから、全環境に対応していないのも分かる。

 

 

 

そうして。

 

ネバーエンディングストーリーって昔の映画を知っている人も知らない人もいると思うけど、原作の果てのない物語を読んでいる。これも暗示的な話で、3年くらい読みかけで放置していたのだけど、今回の大掃除でたまたま出てきたから進めたのだけど、完全にメタ認知というかデカルトさんとかカントさんとかの哲学を源流としているなって思う。比較的最近で言うと、ソフィーの世界っていう哲学入門的な物語と近い。

 

本の師匠がこれを勧めてくれた意味がやっと分かる。

 

原著読んでないと全く分からないだろうから一応説明しとくけど、果てのない物語は、主人公が作中の物語に入り込むっていうラノベにありそうな物語の原型。ナルニア王国とどっちが先かも知らないけど。宮部みゆきさんのブレイブストーリーとかもそうか。

 

 

哲学的だなっていうのは、認識論のところ。

自分が認識して初めて世界が存在するっていうのは、哲学的な雑学でよくある話。哲学ゾンビとかなんとか。でも、まともに自分の人生を生きてきた人だったらそんなこととっとくに無自覚でも分かっているはず。主観的世界は自分が構築した砦だって。

 

 

 

これを踏まえて自分論。

 

僕は自分と接した人をいちいち傷つけるし、いや、ここじゃなかった。

 

 

したいことっていうのは、研究なのだろうなって。

研究の定義も難しいところで、学問的な意味と、日常的な意味は違う。

突き詰めるのが研究だって言ってしまえば良いのだけど、何か違うような。

 

 

 

僕の考察対象は、人間が作ってきた形になってない部分。

樹木希林さんの本で人は嫌いだけど人そのものは好きっていうのと遠からず近からず。中庸でもない。

 

 

んで、今日は試験の勉強をしていたから、民法への考察で締めるか。

 

民法って、私的自治とか意思主義みたいな、人は自分のことを自由に決めることができるっていうのがコンセプトになっている。んで、自由に決められない人はハンデ付きで参加させましょうっていうのが、行為能力制度。こんなこと普通に生活していれば分からないし分かる必要もないのだけど。

 

 

では、現実的な意思ってなんだろう。

 

民法上の意思能力って、自分の利害得失を踏まえて判断できる能力っていうことだから、一般的にも利害得失の世界で合理的に判断することって言っていいのか。

 

 

いや、ほんとうにそうなのか?自分の意思の出自なんて分かりたくない人がいっぱいだろうけど、自由になるっていうのはここにあるような。

 

 

ここの日記もそのうち価値が付くようできたら良いな。

 

最後。

 

僕が人から好かれないけど嫌われもしないのは、他人を判断するような確定的なものさしをもちあわせていないから。でもそろそろこれでは居られないのも分かる。

 

 

体温が歴代でめちゃくちゃ低い。

今日も買い出しに行くときにウルトラライトダウン着ていたのに歯がカチカチなるくらい。

 

 

この物理的なアンバランスは、そのうち改善するんだろうなと思うのだけど、ずっと自家発電で体温高かったから変な感じ。

 

 

おしまい。