月明り
ひきこもっていたから、新規のインプットはない。内定通知書届いたからそれどころではないのだけど、フットワークを軽くしてもここは大変。意思じゃないし。
そういえば、友人はやっとこさ騎士団長殺しを読んでいた。あれだけがやがやしている子供が居る生活では読み進めるのもきっと大変だろうけど。
本の読み方っていうのは、世界の捉え方と等しいと思っている。外界の情報をどういう風に脳の中で処理するかという話。字面を追うとかっていう意味ではない。
友人の本の読み方は昔はもっと無機的な感じだったのだけど、随分言い回しが変わっていた。村上春樹さんに関しては、世界の終わりと云々が一番好きっぽいけど、海辺のカフカから、何か二次創作っぽく見えるとか、最近の村上さんは色に傾注しているのかなとか。
色彩をもたない云々に関しては、確かにモチーフにした哲学者居るんだろうなって勝手に思っているから、なんとなく分かる。友人には言わなかった。仮説でしかないから。
そうして、言葉とは何ぞやっていう答えが出ない話になる。読み方と話し方は連結しているだろうし。
僕が変態だと言われればそれまでだけど、好感を持てる人って言い淀んで相手の為に言葉を選ぶ人。友人も営業職で会話スキルめっちゃあるのだろうけど、二人で話していると流暢じゃない。その流暢じゃない、間がある人が好き。
その間が、関係の固有のところ。要は、この人って自分専用の言葉を選ぼうとしているのかなっていうことを見ている。用意した言葉とか経験則の言葉はどうでも良い。その外にある言葉が気になる。内でも一緒か。
って考えていくと、自分が相手に自分のことを話すとき、この人はどこまで通じるんだろうって思いながら話しているなって。別に大した中身はないけど、社会的な常識をコピペしている人にはあまり話せない。
人に本質なんてないっていうのが暫定的な結論。
解釈はいくらでもできるし。
じゃあどうなるんだろうって考えると、よどみなく話している人は自分の世界で完結しているだけだろうなって。完結しなかったらどうなるのかも分からないけど。人って、自分のことを語って認められたいっていうのが本質なのかね。
僕としては、人は通じないから制度でくっつくようにしたって思っているけど。
通じなくても生活するってなると、相手を操作しないといけないけど、これって人間か?
おしまい。