生存欲求
寒いなぁ。とはいえ、そこまでもない。
寒く感じるのは、落差の体感。そのうち慣れる。所詮人間の五感では、相対的にしか外界を把握できない。
気候についてふと思ったのだけど、例えば大学受験とか高校野球とか、住んでいる地域ですでに平等に競争する前提ではないような。まぁ最終的にはどこまで揃えるかの問題で、突き詰めるとキリがないからこんなものなのかな。
ご飯の話。食欲がなかなか凄い。胃がもたれることがなくなった。アルコールは摂取しているから腸の方は大変だけど、よく食べる。
昨日は割引のトンカツをそのままだと美味しくないから、玉ねぎと白だし卵とじ。少し残して今日の朝にカツ丼にした。アボカドとハマチのわさび醤油ごま海苔。まぁ細かい料理の話は良い。
太るか太らないかって、摂取カロリーと消費カロリーの相関でしかないらしい。
分かりやすい真理っぽいけど、なんだかおかしい。何かもっと違うルールがあるような気がする。見かけの消費カロリーがやたらとすくない僕が全く太らない説明にもならないし。
物理的に場所を取るかどうか。
変な話だけど、自分と外界の境界を形作るのが肉体だから、肉体は精神世界を反映する。しっかり摂取カロリーが肉体に反映されるなら大丈夫。僕のは摂取カロリーが異次元に消えている感がある。太ると身体が重くなるからそうならない。筋肉量は増えているかも。片足スクワットやったらできたし。必要なものしか要らない。
生物が存在する意味というか現象ってなんだろうって考えると、まずは物理的には重ならないっていうところだと思う。何かがそこに在れば、後から誰かがそこに行こうとしても先占されているから無理。あまりそういうこと考えている人居ないのだろうなって、満員電車で思う。
だいたいフォルムは精神世界を反映していると思っている。
綺麗なのはそれなりの何かの現実化があるだろうし、身動きが緩慢になっても世界に安心しているのかもしれないし。
カロリーからのエネルギーの話をしとこうか。
どれが一番有用かっていうと、精神だと思う。電気とかガスとかが現実ではあるけれど、それを使おうとした誰かが居たからこうなっている。誰かの精神、つまり、これを現実化しようっていう欲求。
ビルとか電車とかだって、おそらく日常で使うとか見るとかとしか思わないだろうけど、誰かの精神世界が現実化したものって考えると趣が変わる。
割とまともに生きている人を見ていると、どうあってもまともに見えないなぁという感想。
自分がまともではないからっていうのに尽きる。
フランスで革命が起こりそうみたいなニュースもあるみたいだけど、集団行動が起こるときって、一種の陶酔がある。陶酔っていうのは自他の境界線が曖昧になって、高揚すること。
アルコールとか麻薬とかとあんまり変わらない。音楽もそういう性質はきっとある。
革命はちょっと違うけど、こういうのは結局個人で居ることが寂しいっていうのが原動力だと思う。なぜ寂しいかっていうと、個人っていう観念がそもそも独立したものではないから。
最後かなぁ。
もう関わっていないけど、生きていたら良いなぁって思える人は居るだろうか。
僕には居る。ツムツムをたまたまインストールしたら居た。向こうもブロックしているはずだし、僕もブロックした後削除したはずなのだけど、なんで出てきているのか。基準がよく分からない。
厳密に人と人のつながりを考えていくと、相手が物理的に生きているかどうかは問題ではないって所に至る。なんでかって、自己把握も他人像も観念でしかなくて本質には届かないから。
もう一つ加えると、こんな苦しい生活からドロップアウトして、偏在の波になる方が楽だし。
僕が人間関係の構築を億劫とするのは、心配事を増やしたくないっていう所がある。
義務教育で関わった人とか職場とか、ちゃんと存在しているだろうかって本気で気になる。
別に積極的に関わる気はないけど、大丈夫かな、何しているんだろうって。
そういう対象がこれ以上増えるのは困る。
あの人だけが自分の物理を紐付けした。
ここでいう物理は、肉体的痛みとか感情の反射とかではない。夢と現実の差は濃度の違いでしかないっていうのとよく似ている。
何を現実と感じるかは人それぞれ。
であれば、新規の人間は厳選していくしかない。
おしまい。