硯に向かいて

ただの垂れ流し

文章と本人の繋がり

オクラはトーストで焼いた油揚げとブロッコリースプラウト胡麻和えにした。

あとは鶏むねとかなんやら。

 

結局定期は磁気カードにした。一駅分短くしたから明日はにじゅっぷん

 

さておき。

 

昨日は寝る間際に洗濯機の音がうるさくて睡眠アプリとか雨の音のアプリを衝動的に入れて過ごした。日付が変わる前に寝られるかどうかが次の日をフラットに過ごせるのかの指標だと思った。アルコールよりもきっと響く。とか言っていると怒られそうだけど。

 

 

今日の思うところは昨日の思うところとは違う。

なんて言ったら、何を基準にこいつを判断すれば良いんだってなるだろうけど、ここに書いていることは自分の現実的側面とは別の領域で書いているから何の参考にもならないと思う。

 

昨日恋人さんと通話したのだけど、悲しくなるからあなたの日記は読まないって泣きながら言われた。もう一日分読んだら良いかもよとは言えなかった。だって、僕はこの日記を読まれたいっていう欲求で書いていないし、当人にも読んでほしいとは言っていない。

 

この辺りを考えていくとやたらとややこしくなっていく。

素朴に考えて、近しい人がブログを書いていたらそりゃあその人の現実と繋げるだろうって。僕もそれで泣いた経験はあるけれど、今思うと少々違うだろうなと。

 

その人そのものを1次的な存在とすれば、その人の言動っていうのは2次情報でしかない。

まぁ現実的に接していれば、1次情報に含まれるのが通常なのだろうし、短文であれば文字情報の交信でもきっと同様。

 

でも、文章まで至ると、3次情報くらいになるような気がしないでもない。

ブログみたいなものでも、その人が言語化したその人の感情なり思考だから、読み手の立場で見ると、文章自体を捉えて好きかどうかをまず感じて、その後にこれを書いている生身の人はどんな人なのだろうっていうことになる。1次的に捉えたら、文章だってその人そのものに含まれるのだろう。表現物としては桁が違うけど、村上春樹の小説の中頓別町だっけ、のタバコをポイ捨てする描写に対して地方公共団体として抗議した、みたいな物事を思い出す。

 

もちろん、この文章で人が泣くならそれは僕が悪いっていう責任は負うけど、訂正はしないっていうかできない。考えを改めたなら新しい文章になるだけ。

 

早く寝ないといけないなのだけど、もう一つ。

 

昼と夜の話。

時間じゃなくて、人の類型のこと。

 

 

夜にしか生きられない人が好きだっていうのはいい表現。

というか、人をこの2極で表現できるのは暗い側の人しか居ない。

 

もう少し細分化できるとは思うのだけど。

何をもって夜と昼とを分けるのか。夜勤で働いてるだけでは夜にはならない。

僕の捉え方だけど、昼っていうのは太陽の後ろ盾があること。ここで言う太陽は国だったり社会だったりのやたらと大きいもの。

 

僕もこういう意味では夜側の人の方が好きだ。

 

っていう流れで言うと、一番てっとり早い太陽って婚姻なのかなって思ったりする。

 

 

僕のこういう性質がアルコールのせいだっていう有力説があるのだけど、個人的にはこれがあろうがなかろうがあまり変わっていないって解釈している。恋人枠の人を傷つけるって枠組みで考えたら20歳くらいと同じだし、その時はほとんど素面だし。そりゃあアルコールだけが要因の暴力だったりなんだりがあったら考えるけど、どれだけ酔っても暴力はないみたいだし。

 

僕の暫定的な解釈だと、自分の性質はもともとが夜の人で、昼の性質もあるけど、夜が抗っているっていう感じだと思っている。昼の穏やかさは抑圧で、夜も抑圧されると困るというだけ。

 

抑圧は良くないっていう向きだけど、一人世界から退場したところで意味はない。ちゃんと昼に生きているほど自分の鎧は強いから、一人の喪失くらいなら日常に支障はない。

 

今日はここまで。

おしまい。