硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

自分という檻

この土日はあまり捗らなかった。

 

 

とはいえ、基礎工事の段階だからしょうがない。楽天カードが届くの待っていていたり、届いたらYシャツ注文してWiMAXの申込みをしたり。ネット申込みは早いし安い。キャッシュバックが付いているのが一番トータルは安そうだったけど、11ヶ月とか途方もない未来ではきっと手続き忘れているだろうなと。調べ物ができる環境を整えて経済的書きものをするっていう狙い。と、早いうちに格安CIMに以降する準備。あとは、色々支払いやらなんやらして環境を精算して。まだまだ処理項目はあるのだけど、少しずつ懸念は減らせている。多分もっと本気を出すなら電力会社を変えるとか、楽天市場で水とか缶詰とかを常備するっていうのもあるかもしれない。ネット通販食わず嫌いだったけど、使えるものは使うようにしよう。あとは定期券か。

 

なかなかおもしろくない前置きだけどまともだと思う。

こういう自分の肉体にかかるものってやろうとすればなんとでもなる。

こんなことに時間を使って書く意味はないのだけど、キーボード打つのも早くなってきているから、大した労力ではない。

 

 

さておき。

 

まぁ、本を読むのは捗った。

毎日お風呂に入りながら読み進めているものの他に、図書館で借りているものと、我が家の既読の読み返し。あとは一応目的のための勉強用って表現しているけど、本当にそうなのかっていう疑義がある法律の本。

 

僕がこれだけ本を読むのは、自分っていう器に知識を入れるみたいな健全な意味合いではなく自分を破壊するため。観念的な意味では自傷行為といえるかも。そうしてどれだけぶっ壊しても残るところは何処なのかっていう検証をしているともいえる。

 

こうやって20冊くらい並行して読んでいると、違う本から同じような考え方が繋がって不思議な気分になる。偶然だとか、作為的に選んでいるからだっていうのは、まさにそうなのだけど、小説とエッセイと社会学の入門書と数学の哲学的解釈の翻訳本と民法の本にどういう繋がりがあるのだろう。でも、ここのキモは作為的に選んでいる。ということ人は作為的にしか世界を解釈できない。

 

 

京極さんの処女作(だと思う)で、意識は心と脳が繋がった時の間のことにしか存在しないっていう趣旨のフレーズがあった。あと、脳は入力される情報を過去の情報と照らし合わせて取捨選択しているって。つまり、どんだけ客観的に生きようとしたって一日過ごした後にそれをまるまる再現するようなスペックは脳にはないっていうこと。自分が覚えていることを相手が覚えてなかったら、それは相手が不誠実とかではなくて、相手の世界と自分の世界がズレているだけ。これは繋がり自体ではなくて、繋がりを総括しているなっていう感じだったから挙げただけ。

 

そろそろ時間が押してきたな。

 

何故昨日あれだけ反発したのかっていう自己分析と、本の流れでこのまま書くかの二択。

根っこは解釈っていう概念に収束するのだけど、どっちにしよう。

 

 

そもそも解釈とはなんぞやっていうと、なかなか難しい。

多分日常用語ではあまり使われないだろうし。法律学では良く遣われるけど、これもあまり良くわからない。問題提起から結果までの道筋みたいなものなのかな。抽象化したら。

 

 

自己分析。

 

この土日はなんだか捨て鉢になっても良いかなっていう気分になっていた。それでも淡々と処理したから、気分には作用しても行動には作用はあまりしていない。でも、これを脳内で処理するために脳の一部が占拠されていたのは確か。

 

昨日書いた言葉が通じない人認定っていうのはやや感情的に過ぎるきらいがある。では、何が嫌だったのか。1つはきっと図星だったから。当たり前のことを指摘されると人はムッとする。これって多分、あえて言葉で表現する必要がないだろうって感覚。こっから掘り下げていくと、自分の環境も状況も知っている人が、自分がせっせと項目減らしているところにまだこの項目がありまっせって言ってくるっていう現象に対して、なぜこのタイミングであなたがそれを言うのだって感じた可能性が一倍高い。そんなことは分かっているし、処理項目として優先順位がまだ先なことをここで挙げてくる感覚を疑った。

 

もう一つあるのが、なぜ事あるごとに当人と僕をなぞらえるのかっていうところ。

これは、環境を抽象化して類型化いることに等しいのだけど、そこに無自覚。こういう感覚で語られる言葉って、過去の当人に言い聞かせているだけで、別にその言葉の対象は僕でなくても良いだろうっていう気分になる。どういう視点で話しているのっていうのはこういう趣旨。

 

自分の部屋で死なれるのは迷惑だっていう発言は良かった。

外付けではなくて、きのままの自分のためっていうところが。結局人は自分が大事だっていうところから考えると、近しい人に対して何か相手の為にどうのみたいなことも、結局は自分の為ってところに還元されるのではなかろうか。例えば健康とかって、財布が1つになったら医療費もかかるし健康を害する費用もかかるし、みたいな。相手の存在が継続して欲しいっていう観念はどうしたってエゴだから。

 

最後に解釈について書きたかったけど、どうやら時間切れ。

 

 

では、おやすみ。